もどかしい気持ち
5年目の友だちと飲んできた。
公園のブランコでいま勉強してることの話になり、『』のことを伝えた。
でも彼は、
それを否定した。
「教えることは教えなきゃいけない」
「教師の仕事は」
「『』は方法だと思う。教師が教える中で、主体性と平等性を持たせるために、『』やALがあると思う。」
と。
たしかにそう思う人も多いでしょう。
教育から理想をとったら何が残るの
いやー、でも、熱血だけじゃだめだと思うんだ、俺
なんてやりとりもした。
うーん。
友だちにすら『』の必要性を理解してもらえないんだから、まだまだだよなあ。
「ひとりも見捨てない」に含まれる意味を教えるのが教師の仕事なのか、成績(成果)を上げることが教師の仕事なのか。
どっちもっていうか、前者に後者が付随してくるものだと思うけど、違うのかな。
わたしも勉強不足ではっきり言えない。
「気をつけな」と言われたことは
彼なりの優しさだっていうことはわかる。
変なのに引っかかりそうだから。
そう思われてるきっと。
でも、こればっかりは譲れないというか
日本の教育という面から見て、
この思想はかけがえのないものなんじゃないかって本気で思えるものに出会えたんだよな。
それをうまく伝えられない。
超もどかしい。
もっとがんばろー。
自分の言葉でしっかり伝えられるように。
それが『語り』の部分にも必ず活きてくる。
がんばりたい。
いや、がんばらなきゃいけない。
時間がなーい。